東京高等裁判所 平成8年(行コ)71号 判決 1997年2月18日
横浜市都筑区茅ヶ崎東三丁目一四番二五号
控訴人
山崎勝由
右訴訟代理人弁護士
森和雄
横浜市青葉区市ヶ尾町二二番地三号
被控訴人
神奈川税務署長事務承継人
緑税務署長
長濱敏明
右指定代理人
仁田良行
同
山岡千秋
同
廣田隆男
同
須川光芳
同
井上良太
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴人は「(一)原判決を取消す。(二)被控訴人が控訴人に対して平成三年三月八日付けでした控訴人の、<1>昭和六二年分所得税の更正のうち所得金額二六六万一七〇〇円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定、<2>昭和六三年分所得税の更正のうち所得金額二三〇万七〇三五円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定、<3>平成元年分所得税の更正のうち所得金額二二〇万三一〇五円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定をいずれも取消す。(三)訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、次のとおり付加する他は、原判決事実摘示のとおりである(ただし、原判決一五丁裏七行目に「三五七万八四五二円」とあるのを「三五七万八四二五円と訂正する)から、これを引用する。
(控訴人)
1 推計の必要性について
本件では、第三者である宮守が暴言を吐いたり、罵声を浴びせたりするようなこともなく、控訴人は平穏に調査に応じている。しかも、そもそも本件税務調査は任意の調査であるはずで、納税者である控訴人が立会人を付けようと付けまいと控訴人の自由に属する事柄である。加えて、第三者の立会による秘密の漏洩のおそれの問題についていえば、納税者である控訴人に属する秘密の開示は控訴人自身が容認していることであるから問題とならず、一方、取引先の秘密についていえば、そもそも控訴人に対しても秘密なわけであるから税務職員は質問調査権を行使するに当たっても控訴人にも開示することはできないはずであり、いずれにせよ取引先の秘密の漏洩をもって第三者の立会を拒否する理由にはなり得ないはずである。仮に立会の許諾権を税務職員に認めるとしても、立会拒否には合理的な理由が必要であり、実定法に規定がない以上フリーハンドの権限を税務職員に与えたものと解することは許されない。そこで、第三者である宮守の立会のみの理由をもって税務調査を打ち切り、推計課税にできることは許されず、本件において推計課税の必要性はなかったものである。
2 推計の合理性について
(一) 被控訴人のした推計は、本件各係争年分の控訴人の売上原価を基礎に類似同業者の平均売上原価率を適用するという方法で行われた。しかし、この類似同業者は電気配線工事業を営む青色申告の個人事業者に、いわゆる売上原価についての倍半基準を用いて選別されているというだけで、その余の類似性については全く不明である。電気配線工事といっても多種多様である。大きな会社の下請けで安定的な仕事を得ているものと不定期な仕事を受ける街場の業者では、原材料のロス率を含め、売上原価率に相当の隔たりがあることは容易に想像できる。業種と倍半基準以外に類似性に関する主張立証の全くされていない本件にあっては、そもそも被控訴人のなした推計方法に合理性があるとはいえない。
(二) 本件において、原処分時に比準同業者として抽出されたのは、昭和六二年分七件、昭和六三年分六件、平成元年分七件であったのに対し、本訴に当たって被控訴人が比準同業者として抽出したのは、昭和六二年分一四件、昭和六三年分一三件、平成元年分八件であり、抽出者によって件数が異なっている。このように原処分時と本訴時における抽出数のこれだけの差を考えるならば、これは一般の人達の目から見るならば、倍半基準が適正に適用されなかったからこそ生じた件数の差異であり、被控訴人が本訴において主張する推計方法の合理性には重大な疑問が生じたということになるはずである。この疑問を明らかにする資料は全て被控訴人の手元に存在するはずであり、主張立証することはさほど困難なことではないのに、それを積極的にしないのであれば、本件推計に合理性はないものといわざるを得ない。
(被控訴人)
1 推計の必要性について
申告納税制度の下における納税者は、税法の定めるところに従って正しい申告をする義務を負うとともに、その申告内容を確認するための税務調査(質問検査権の行使)に対しては、所得金額の計算の基となる経済取引の実態を最もよく知っている者として、その所得金額を算定するに足る直接資料を提示し、その申告が正しいことを税務職員に説明する義務を負うものというべきである。そして納税者が帳簿等の備え付け等をしない場合や税務調査に際し帳簿書類の提出を拒む等した場合等に、国が課税を放棄することは、正しい申告をしている誠実な納税者に比較して、租税負担の公平を欠き到底許されないとの観点から、所得税法一五六条は、このような場合等に、各種の間接資料に基づく推計の方法により更正・決定しうることを規定しているのである。
本件では、寺島係官は、平成二年一一月一三日及び同年一二月六日と二度にわたり控訴人宅へ臨場した際、またその間、靜子が同係官に二度にわたり調査日の変更のために電話をかけてきた際、再三にわたり第三者である宮守の立会なしで調査に応ずるよう説得したにもかかわらず、控訴人はこれに応じようとせず、自らの事業所得についての帳簿書類の提示など直接資料によってその計算根拠を明らかにしようともしなかった。加えて、寺島係官が控訴人に電話で確認をした際、確定申告の基礎とした帳簿書類等の保存も不完全であると述べていたことから、同係官は、控訴人の収入及び経費の額を実額で算定することはできないと判断し、控訴人の取引先等に対する調査によって把握した仕入金額を基礎として本件各課税処分を行ったのであるから、本件について推計の必要性があったことは明らかである。
そして、本件では、売上げに係る見積書及び請求書をはじめとして、確定申告の計算の基礎資料とした売上げに係る領収書の控え及び銀行預金通帳、必要経費に係る領収書及び出金伝票のいずれもが控訴人又は靜子の二人で作成、保管され、確定申告のための計算も控訴人らがしていたのであるから、税理士でもない宮守が本件調査に立ち会う必要は何らなかったことは明らかであるうえ、その宮守が、寺島係官に対して、終始、調査の理由及び第三者の立会についての話のみを執拗に問いかけていたことからすると、控訴人が宮守を本件調査に立ち会わせた目的は、調査を妨害ないし混乱させることにあったものと認めざるを得ず、このことは、寺島係官が、再三にわたって、宮守の立会なしに調査に応ずるように説得したにもかかわらず、あくまで宮守の立会に固執した控訴人の対応から見ても明らかであり、寺島係官としては、宮守の語調が平穏なものであったか否かにかかわらず、同人の立会を前提にした調査は困難ないし不適当であると判断したものである。なお、税務調査に税理士以外の者が立会できるかどうかについては、実定法上特段の定めがなく、第三者の立会を拒否するか否かは権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられているところ、調査担当者が右立会を拒否することには必ずしも積極的な理由のあることを要せず、適宜の判断でその第三者の退席を求めることができるのであり、かつ調査を受ける納税義務者が第三者の立会を要求する権利があると解すべき法令上の根拠もないのであるから、税理士以外の立会を付けるかどうかが納税者の判断にゆだねられているとすることもできない。
さらに、税務調査においては、被調査者及び同人と取引関係にある第三者の営業上の秘密にかかわる可能性のある事項に調査が及ぶこともしばしばあるところ、税務職員には職務上知り得た秘密を漏らしてはならない義務が課せられており(所得税法二四三条、国家公務員法一〇〇条一項、一〇九条一二号)、これによって被調査者及びその取引先等の秘密が守られているが、他方、一般私人にはこのような守秘義務が課せられていないので、これらの者を調査に立ち会わせることによって法が守秘義務を定めた趣旨に実質的に反する事態が現出することも考えられる。そこで、本件調査において、調査に関係のない第三者の立会を認めることは、税務職員に守秘義務を課した所得税法等の趣旨にかんがみると相当ではない。
そして、税務職員が、税務調査において立会を拒否することは、これが社会通念上著しく妥当性を欠き裁量権を濫用したと認められるべき特段の事情が存在しない限り、違法とはいえないところ、前記のとおり、控訴人が宮守を立ち会わせた目的が、調査を妨害ないし混乱させることにあったものといえること、法律上立ち会える権利がない第三者を立ち会わせることは税理士法違反の行為を容認する結果となること及び税務職員に守秘義務を課した趣旨に実質的に反する事態を現出するおそれがあったことから、寺島係官は宮守の立会を拒否したのであるから、この立会拒否は、寺島係官がその付与された裁量権を合理的に行使してしたものであり、正当な処置であるというべきである。
2 推計の合理性について
推計課税は、納税者の所得金額を、直接資料ではなく間接資料によって推計した数値をもって真実の所得金額に近似するものと認定して課税するものであり、この推計によって得られる数値は、一般的・客観的な見地から真実の所得金額に近似する蓋然性があれば足るというべきである。したがって、推計の合理性を検討するに際しても、一般的・客観的にみて、その納税者の所得の実額に近似する数値を求めるにつき必要な限度で類型的事実に基づき考察すれば足ると解すべきところ、推計の方法としていわゆる同業者比率の平均値を用いる場合、納税者とその同業者との類似性については、業者間に無限に存在する個別的な営業条件の差違に関し、その全てを考慮しなければならないというわけではない。なぜならば、所得税法が推計課税を認めている以上、ある程度の抽象性は法が容認しているところであって、むしろ過度に同業者間の類似性を要求することは推計による課税自体を否定することになりかねないからである。
被控訴人がこの事業所得の金額を算出するために採用した推計方法は、控訴人の売上原価を基礎として、その金額を比準同業者の平均売上原価率で除して総収入金額を算出し、右総収入金額に比準同業者の平均特前所得率を乗じて控訴人の特前所得金額を算出したものであるところ、右比準同業者は、控訴人が川崎南税務署管内において電気配線工事業を営んでいた個人事業者であることから、<1>川崎南税務署管内において控訴人と同様に電気配線工事業を営む個人事業者であること、<2>青色申告によって所得税の申告を行っている者で、青色事業専従者が一名の者であること、<3>その売上原価が控訴人のそれの二分の一以上二倍以内の者であること、<4>年を通じて右<1>の事業を継続している者であること、<5>災害等により経営状態が異常であると認められる者、税務署長から更正または決定処分を受け、これに対して不服申立てを行っている者を除いて、本件各係争年分毎に右抽出基準の全てを満たしている者を同業者として漏れなく抽出し、その抽出作業は、担当者による恣意が介在したり、担当者によって結果が区々になるような余地は全くなく、かつ、抽出された比準同業者は控訴人と業種及び事業規模等の近似性の点において、控訴人との間に合理的と認めるに足る類似性を有する青色申告者であるから、被控訴人が採用した右推計方法によって求められた数値を控訴人の本件各係争年分の真実の所得金額に近似するものとして認定することに合理性が存することは明らかである。
控訴人は、業種と倍半基準以外の類似性に関する主張立証がないから被控訴人の推計には合理性がないと主張するが、被控訴人の採用した倍半基準は同業者比率法において事業規模の類似する同業者を抽出するための基準として優れた合理性を有するものとして一般に承認されているものである上、被控訴人が比準同業者を倍半基準だけを用いて抽出したものではないことは前示のとおりである。そこで、控訴人の主張するように得意先の規模の大小によってロス率の高低があるかどうか、それによって売上原価率に差異があるかどうか、差異があるとしてそれが同業者の平均値による推計自体を全く不合理にするほどに顕著なものであることなどを控訴人において立証する必要があるが、控訴人は、これらについて何の立証もしていない。
控訴人は、被控訴人が比準同業者として抽出した件数が原処分時と本訴において異なっていることから、抽出に当たり倍半基準が適正に適用されなかったことが窺えるなどと主張する。しかしながら、課税処分取消訴訟の訴訟物は処分の違法性一般であり、その処分の同一性については、処分によって確定される租税債務の同一性によってとらえるのが相当であると解される(いわゆる総額主義)のであり、言い換えれば、課税処分によって確定された税額が処分時に客観的に存在した税額を上回らない限り、課税庁が処分時に認識した処分理由に誤りがあったとしても、課税処分は適法であると解されるから、審理の対象は、処分時に客観的に存在した税額を上回るか否かを判断するために必要な事項の全てに及ぶ。そして、税額算出の根拠となる事実は単なる攻撃防御の方法にすぎず、当該処分に係る税額を維持するために訴訟の段階で新たな処分理由を主張することも当然許されるのである。したがって、本件課税処分の違法性の有無を判断する本件訴訟においては、本訴における推計の合理性の有無が審理の対象であり、被控訴人としては、本訴において主張する推計方法に合理性が存在することを主張立証すれば足るのであって、原処分時における推計方法は直接の審理対象ではないから、これを問題とする余地はなく、被控訴人が抽出した比準同業者の抽出件数が原処分時と本訴で相違する理由を明らかにする必要性はない。なお、被控訴人の比準同業者の抽出が適正に適用され、その抽出には恣意が介在していないことは前記のとおりである。
三 証拠は、原審記録中の証書目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 当裁判所も、控訴人の昭和六二年分の総所得金額を原判決添付別表一記載の金額と、同じく昭和六三年分の総所得金額を同表二記載の金額と、同じく平成元年分の総所得金額を同表三記載の金額としてされた本件各更正及びこれを前提とする各決定はいずれも適法であると判断するが、その理由は次のとおり訂正し、敷衍する他は原判決理由説示記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決二六丁裏一行目に「調査した結果、同年一一月一三日の午前一〇時から右調整を」とあるのを「調査した結果、同年一一月一三日の午前一〇時から右調査を」と、三一丁裏六行目に「各売上金額」とあるのを「各売上原価」と、三二丁表九行目に「三五七万八四五二円」とあるのを「三五七万八四二五円」と各訂正し、三八丁裏四行目に「見積書、」とあるのを削除する。
2 推計の必要性について
(一) 原判決掲記の争いのない事実及び各証拠によれば、控訴人に対する本件各係争年分の所得税調査の経緯は、原判決理由第二、一、1、(二)、(1)ないし(6)に記載のとおりであり、要するに、
(1) 川崎南税務署の寺島哲郎国税調査官(以下「寺島係官」という。)は、控訴人やその妻で事業専従者である靜子との数回の期日打ち合わせを経た後、控訴人の本件各係争年分に係る所得税調査のため、平成二年一一月一三日午前一〇時ころ、控訴人宅へ赴いたところ、同所には控訴人と靜子の他、宮守が待機しており、寺島係官が、身分証明書等を提示した上、控訴人に対して、控訴人の提出した本件各係争年分の確定申告書には所得金額の記載しかなく、収支内訳書の添付もないので、記帳してあるものを確認して所得金額が正しく計算されているかどうか確認にきたと説明したのに対して、宮守が「調査理由として言ったのだろうが、それは所得税法二三四条のどこに書いてあるのか」とか「調査するからには、あなたたちは納税者を疑っているのだろう。どういうところに問題があるのか、具体的に言ってもらいたい」と主張し、寺島係官が、控訴人に対して、収支内訳書の提出や提示もないのでどこに問題があるのか答えようがない旨説明し、申告書作成の基になった帳簿書類等はあるのかと問いただしたところ、控訴人はなにも答えず、代わって宮守が「出納帳のことを言っているのだろうが、売上げについての領収書等はある」と発言し、さらに寺島係官が控訴人に対し、守秘義務があるので、第三者の立ち会いのもとでは調査できないので、第三者である宮守がいない状態で、申告のもとになった書類を見せてもらいたいと要請したのに対し、控訴人は「すべて宮守さんにまかせてあるので」と答えて宮守を退席させようとはしなかったこと、このため、寺島係官は、午前一一時ころ、これ以上調査を進めることはできないと考えて、本日はこれで辞去するが、次回の調査を同月二六日午前一〇時から行いたいと告げ、右調査日には第三者の立ち会いがない状況での調査に応じるように要請して、控訴人宅を辞去したこと、
(2) その後、靜子からの電話によって第二回の調査は一二月六日午前一〇時から実施することとされたが、この電話での靜子との打ち合わせの際、寺島係官は、次回の調査の際には第三者の立会がないようにとの要請をするとともに、前回と同様の状況であれば税務署独自の調査を行わなければならなくなると伝えたこと、
(3) 同年一二月六日午前一〇時ころ、寺島係官は、第二回目の調査のため控訴人宅を訪れたが、その場には控訴人と靜子の他に、宮守がいたため、寺島係官は、控訴人に対し、守秘義務が課されているので、調査に関係のない第三者の立会は認められない旨説明するとともに、宮守を退席させてほしいと要請したが、控訴人は「一応頼んであるので」と答えて寺島係官の要請には応ずる様子を見せず、寺島係官が、再度、どうしても宮守のいるところでなければ調査に協力できないというのであれば、税務署独自の調査をするが、その結果所得金額に誤りがあれば更正ということもあり得ると述べたのに対し、控訴人は「仕方がない」と答えたこと、そこで寺島係官は、控訴人の協力が得られないとして、署の調査を進めて結果がでたら連絡すると述べて、控訴人宅を辞去したこと、
(4) 寺島係官は、前同日、署に帰ってから、再度控訴人宅に電話をし、第三者の立会がなければ調査に応じるつもりはないのかと確認したところ、控訴人は「うちは正しく申告しているはずです」と返答するのみであり、また帳簿書類等の存否については「一応領収書等は集めて申告を頼んだが、全部あるわけではない」との回答をし、寺島係官が、署で調査するとなると取引先等を反面調査することもありますが、よいですねと尋ねたのに対し、控訴人は「やってください」と返答したこと、
以上のとおりであったものと認められるのであるから、控訴人は、帳簿書類等を提示せず、また寺島係官の要求にもかかわらず、第三者である宮守を退席させようとはせず、結局寺島係官が実施しようとした税務調査に協力しなかったものであり、このため被控訴人は本件各係争年分の控訴人の所得金額を実額で把握することができなかったと認められるのであるから、被控訴人において本件各係争年分の所得金額及び税額を推計によって算出する必要があったものである。
(二) 控訴人は、この点について、前示のとおり「第三者である宮守が暴言を吐いたり、罵声を浴びせたりするようなこともなく、控訴人は平穏に調査に応じている。しかも、そもそも本件税務調査は任意の調査であるはずで、納税者である控訴人が立会人を付けようと付けまいと控訴人の自由に属する事柄である。加えて、第三者の立会による秘密の漏洩のおそれの問題についていえば、納税者である控訴人に属する秘密の開示は控訴人自身が容認していることであるから問題とならず、一方、取引先の秘密についていえば、そもそも控訴人に対しても秘密なわけであるから税務職員は質問調査権を行使するに当たっても控訴人にも開示することはできないはずであり、いずれにせよ取引先の秘密の漏洩をもって第三者の立会を拒否する理由にはなり得ないはずである。仮に立会の許諾権を税務職員に認めるとしても、立会拒否には合理的な理由が必要であり、実定法に規定がない以上フリーハンドの権限を税務職員に与えたものと解することは許されない。そこで、第三者である宮守の立会のみの理由をもって税務調査を打ち切り、推計課税にでることは許されず、本件において推計課税の必要性はなかったものである」と主張する。
しかしながら、申告納税制度の下における納税者は、税法の定めるところに従って正しい申告をする義務を負うとともに、その申告内容を確認するための税務調査(質問検査権の行使)に対しては、所得金額の計算の基となる経済取引の実態を最もよく知っている者として、その所得金額を算定するに足りる直接資料を提示し、その申告が正しいことを税務職員に説明する義務を負うものというべきである。そして納税者が帳簿等の備え付け等をしない場合や税務調査に際し帳簿書類の提出を拒む等した場合等に、国が課税を放棄することは、正しい申告をしている誠実な納税者に比較して、租税負担の公平を欠き到底許されないとの観点から、所得税法一五六条は、このような場合等に、各種の間接資料に基づく推計の方法により更正・決定しうることを規定しているのである。ところが、本件においては、前示のとおり、寺島係官が、平成二年一一月一三日及び同年一二月六日と二度にわたり控訴人宅へ臨場した際、またその間、靜子が二度にわたり調査日の変更のために電話をかけてきた際、再三にわたり第三者である宮守の立会なしで調査に応ずるよう説得したにもかかわらず、控訴人はこれに応じようとせず、事業所得についての帳簿書類の提示など直接資料によってその計算根拠を明らかにするなどの調査に協力する態度も示そうとはしなかったものであり、さらに、寺島係官が控訴人に電話で確認をした際、確定申告の基礎とした帳簿書類等の保存も不完全であると述べていたことから、同係官は、控訴人の収入及び経費の額を実額で算定することはできないと判断したものであって、その判断は、右のような当時の状況に照らして見れば合理的なものであると認められるから、本件について推計の必要性があったことは明らかである。
控訴人は、宮守は暴言を吐いたりなどはしなかったので、調査を打ち切る必要はなかったなどと主張するが、右のとおり寺島係官は、宮守の立会のみではなく、控訴人の帳簿書類等の不備も総合して実額算定を断念したものであるから、控訴人の主張は採用できないのみならず、一般に、税務調査に税理士以外の者が立会できるかどうかについては実定法上特段の定めがなく、また、調査を受ける納税義務者が第三者の立会を要求する権利があると解すべき法令上の根拠もないのであるから、第三者の立会を付けるかどうかが納税者の判断にゆだねられているとすることはできないのであって、第三者の立会を拒否するか否かは権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられていて、調査担当者が右立会を拒否することには必ずしも積極的な理由のあることを要せず、適宜の判断でその第三者の退席を求めることができるものというべきである。さらに、税務調査においては、被調査者及び同人と取引関係にある第三者の営業上の秘密にかかわる可能性のある事項に調査が及ぶこともしばしばあるところ、税務職員には職務上知り得た秘密を漏らしてはならない義務が課せられており(所得税法二四三条、国家公務員法一〇〇条一項、一〇九条一二号)、これによって被調査者及びその取引先等の秘密が守られているが、他方、一般私人にはこのような守秘義務が課せられていないのであるから、これらの者を調査に立ち会わせることによって法が守秘義務を定めた趣旨に実質的に反する事態が現出することも考えられる。これらを考えると、本件のような税務調査において、調査に関係のない第三者の立会を認めることは、一般的に相当ではないと考えざるを得ない。ところで、甲第三七号証、原審における控訴人本人尋問の結果によると、本件では、売上げに係る見積書及び請求書をはじめとして、確定申告の計算の基礎資料とした売上げに係る領収書の控え及び銀行預金通帳、必要経費に係る領収書及び出金伝票のいずれもが控訴人又は靜子の二人で作成、保管され、確定申告のための計算も控訴人らがしていたものと認められるのであるから、税理士でもない宮守が本件調査に立ち会う必要性は何らなかったことは明らかであるうえ、その宮守が、寺島係官に対して、調査の理由及び第三者の立会についての話を執拗に問いかけており、控訴人もこれを容認する態度でいたことからすると、宮守の立会を認めることによって、本件調査が妨害され、ないしは混乱することが充分に予想されるのであるから、寺島係官が、宮守の語調が平穏なものであったか否かにかかわらず、同人の立会を前提にした調査は困難ないし不適当であると判断したことは妥当であったといわざるを得ないのである。
3 推計の合理性について
(一) 本件において被控訴人が採用した推計課税の方法については、原判決理由第二、二、2及び3記載のとおりであり、要するに、川崎南税務署長は、控訴人の取引先業者を調査することにより、控訴人の本件各係争年分の控訴人の各売上原価を原判決添付別表四の一の仕入れ金額のとおり(ただし、昭和六二年分については、右金額から一〇万八八〇〇円を引いたもの)把握し、これを基礎として、川崎南税務署管内において控訴人と同様に電気配線工事業を営む青色申告の個人営業者で、かつ控訴人と事業規模が類似するもの(同業者)の本件各係争年分事業所得に係る総収入金額に対する特前所得の金額の割合の平均値を乗じて特前所得金額を算出し、控訴人の事業所得金額を推計したこと、右同業者の抽出に際し、この事務を担当した後記の佐野占調査官は、上司から、東京国税局長から川崎南税務署長宛の平成五年九月一七日付け「税務訴訟に関する資料の作成及び報告について(通達)」と題する書面(乙第二号証)により、昭和六二年分から平成元年分までを対象とし、<1>川崎南税務署管内で電気配線工事業を営む者で、<2>所得税の申告を青色申告によっている者であって、そのうち青色事業専従者が一名の者で、<3>その売上原価が控訴人のそれの二分の一以上二倍以内の者であること(その具体的金額は、原判決三二丁表九行目から同丁裏三行目までに記載のとおりであること)、<4>年を通じて右<1>の事業を継続している者であること、<5>災害等により経営状態が異常であると認められる者、税務署長から更正又は決定処分を受け、これに対して不服申立てを行っている者等を除いて、本件各係争年分毎に右抽出基準の全てを満たしている者を同業者として漏れなく抽出するようにとの指示を受け、この指示に従って抽出作業処理をしたものであり、その抽出作業は、担当者による恣意が介在したり、担当者によって結果が区々なるような余地は全くなかったものであること、以上のとおり認められるのであるから、本件において抽出された比準同業者は、業種及び事業規模等の近似性の点において控訴人との間に合理的と認めるに足る類似性を有する青色申告者であるということができ、これに基づき、本訴において被控訴人が採用した前示推計方法によって求められた数値を、控訴人の本件各係争年分の真実の所得金額に近似するものとして認定することに合理性が存することは明らかであるというべきである。
(二) 控訴人は、業種と倍半基準以外の類似性に関する主張立証がないから被控訴人の推計には合理性がないと主張するが、被控訴人の採用した倍半基準は同業者比率法において事業規模の類似する同業者を抽出するための基準として優れた合理性を有するものとして一般に承認されているものである上、川崎南税務署長が比準同業者を抽出した基準は前示のとおりであって、倍半基準のみだけではない各種の条件を満たしており、その基準は選定される同業者の控訴人との類似性を確保するために合理性を有するものであると認められるから、これに基づいた被控訴人の推計は合理性があるというべきである。
(三) 次に、控訴人は、比準同業者として抽出した件数が原処分時と本訴において異なっていることから、抽出に当たり倍半基準が適正に適用されなかったことが窺えるなどと主張する。しかして、甲第三六号証及び乙第三ないし第五号証によれば、確かに抽出件数は控訴人主張のとおり異なっていることが認められるのであるが、他方、乙第二ないし第五号証、原審証人佐野占の証言によれば、平成五年七月から川崎南税務署の個人課税第一部門の上席調査官をしていた佐野占は、平成五年九月二〇日ころ、上司の加藤統括国税調査官から、東京国税局長から川崎南税務署長あての前示「税務訴訟に関する資料の作成及び報告について(通達)」(乙第二号証)を見せられ、この通達に記載の前示<1>から<5>の条件に基づいて報告書を作成するよう指示を受けたこと、そこで、佐野調査官は同指示に従って乙第三ないし第五号証の報告書を作成したが、その際、同税務署に備え付けの業種別名簿、青色申告決算書、青色申告書綴り、所得調査書、不服申立等整理簿を使用して、右通達に記載の前示<1>から<5>の基準に従って、本件各係争年分毎に右抽出基準のすべてを満たしている者を同業者として漏れなく抽出したものであること、その抽出作業は、右通達を読めば、税務職員であれば誰でもできる内容のものであり、機械的にできるものであるから、担当者による恣意が介在したり、担当者によって結果が区々になるような余地はないものであること、佐野調査官は、右報告書の作成の際に甲第三六号証の裁決書を見たり、寺島係官の話を聞いたりしたことはないこと、以上のとおり認められるのである。ところで、本訴においては、本訴における推計の合理性の有無が審理の対象であり、被控訴人としては、本訴において主張する推計方法に合理性が存在することを主張立証すれば足るというべきであるところ、前示のとおり、佐野調査官は、上司から、乙第二号証の通達の内容に従った報告書を作成せよとの指示を受け、これに従って、同税務署備え付けの前示各資料によって客観的に乙第三ないし第五号証の報告書を作成したのであり、右通達に定める基準は、同業者の類似性を確保するために合理性がある基準であると考えられ、佐野調査官はこのような合理性があると認められる基準に従って同業者を抽出したものであること、佐野調査官は、右報告書作成の際には、甲第三六号証の裁決書は見ておらず、この内容を知らずに調査書を作成したものであり、また寺島係官から話を聞くなどもしていないのであるから、佐野調査官の調査は中立性が保たれていると考えること、本件のような推計方法を採用する場合には抽出すべき同業者の件数が多い方がそれだけで直ちに良いということになるものではないが、少なくとも佐野調査官の抽出件数が多いということは、それだけ佐野調査官の調査に対する信頼を高めるものということができること、原処分時に認定された控訴人の売上原価は本訴において認定されたものと一致しないのであって、これが件数の相異を生じた一因と考えられること、以上の事情が認められるのであり、これらを総合すれば、原処分時と抽出件数が相違しているからといって、本訴における抽出の方法が恣意的であるということはできず、また、倍半基準が適正に適用されなかったということもできないものであって、結局、控訴人の主張は採用できないものといわざるを得ない。
二 よって、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 佃浩一 裁判官 升田純)